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自分に向き合い、日々思考する

息子のこと

息子は2人いる。今特に気がかりなのが次男である。今年大学を卒業した。

母としては3人目の子どもであったこともあり、上の2人に比べ甘やかしてきたとは思う。本人が甘やかされたかと思っているかどうかは別として。

大学4年生になっても彼は就活をしなかった。進路を迷っていたとは思うが、公務員試験を受けると言い出していた。

確かに試験勉強は得意なほうだろうと思いそれもよしと思った。

ところが専門学校の授業料を27万円出したのだが、合格目指して勉強している気配はない。私の手前学校に通てはいたが行っているだけだった。

見ていればわかる。本気で勉強していないことは

 

56才になった私は昨年賃貸不動産管理士試験を目指し独学で勉強した。

久しぶりの受験勉強だったが、ベストを尽くした。

やれることはやった感はあったが、不合格となった。

過去問題集は7回繰り返しどれ出されても答えられる自信があるほどだったが、応用が利かない頭だったこと、不動産の知識が問題集以外何もなかったこと、試験当日の脳の反応が遅すぎたこと等不合格の理由は大体認識している。

要するに年を取って脳の反応が悪すぎるのだ。

一回のチャレンジで合格できるとは思わないほうがいいのだ。

まあそれが私の試験を受けた感想だ。

言いたいことは私でさえ試験を受かるために勉強するとはどういうことか認識している。

私のことはいいとして

次男は

公務員試験などさらにライバルがいる試験にただ学校に通えば受かるものではない。

また私は次男を甘やかしたのだ。27万もの授業料を払ってしまった。

やる気があるなら自分で稼いだお金で受ける気持ちがないと無理なのだ。

私は勝手に公務員になるのなら就活する必要ないと自分を納得させていただけなのだ。

 

兄や姉からすればおそらくやっぱり次男を甘やかしているといいたくなるだろう。

 

コロナ禍就活も例年とは違いなかなか慣れないものだったと思う。しかし他の友人がやっていることをなぜ次男はやらなかったのか。

単位の問題で卒業できるかぎりぎりの状況ではあった。

だからと言ってなぜだったのだろう。

一緒に就活を相談する友人はいなかったのか。

友達は多い方だと思っていたが、大学入ってから大人になり切れない、成長できない、子供っぽさだけを継続させていた感じがする。

 

自分のことを考えてももちろんこのぐらいの年頃の時一番子供ぽっかたといえる。

子供っぽいと見えるのは皆変わらないとは思う。

しかしなぜ今卒業してしまってからも就職ができないのか。

新卒という枠から外れ仕事を探しにくいことは想像できる。

まず就職したところは明らかにブラック企業といえる外壁塗装の営業である。

次に内定をもらったところはサイゼリアという外食企業。

しかし決まったにもかかわらやはりアルバイトで暫くやっていこうかと思うと言い出す始末。

 

ここから私の神経が動揺し始めた。

なぜ、就職しない。

健康であり、若さがあり、勉強もでき、何より集中力がある。

運動神経も人並み以上だ。

自慢の息子だった。

 

だからこそ私は動揺し、眠れない。睡眠に障害が出ているのは明らかにストレスである。

次男の不幸な人生を想像してゾッとしている。

次男のことに関して悪い方に悪い方に思考が向かっている。

自分を責めてしまっているのだ。

自分が悪い。

そもそもあんな元夫と安易に結婚した私のせいだと。

結婚しなければ次男はこの世に存在しなかったのに。

そして人生に絶望している将来の次男を想像してしまう。

 

これでは睡眠に障害が現れるだろう。

 

ゆっくり考え直そう。私が次男にできることはない。

まずやることは彼とは距離を置くことだ。

本人に自分の人生を自分の力で歩んでもらうことだ。

自分で経験し自分で学び成長していくしかない。

私が成長させられることはもうないのだ。

簡単に言えば家から出てもらうことが今一番私が彼にやるべきことだろう。

自分で切り開いていける能力は十分持っている。

あとは任せよう。

先のことを私が一人で思い悩んでも無駄なことだ。

一人で切り開け。

充分甘やかした。

その分生きるエネルギーは十分蓄えているでしょう。