thinking thinking thinking

自分に向き合い、日々思考する

悶々としている

この数日子供のことで悶々としている。一切会話を拒否している二階に住む長男のこと。

大学を卒業して就職をせず、やっと見つけた仕事は3日で辞め、それから雀荘のバイトに明け暮れ相馬に職探しはしているが就職をする気があるのかないのか親としてはかなり不安になっていた。

なぜこの子は就職活動を大学の四年生の時にしなかったのだろうかあまりに無知なことにこれまで想像もつかなかったことなだけに私は勝手に落ち込んだ。

 

そしていろいろなことで自分を責めた。

私の育て方が悪かったのだろうか。

そう考えると確かに私自身もむちだったのである。読書家を目指している今は本を読む量が増え初めて自分が無知だったことに気がつき、うちの私が育てた子供が無知な行動をとったとしても当たり前のことなんだとさらに落ち込むような考えに至る

 

娘は獣医師の資格を取り一人暮らしから自宅に戻り、近くの動物病院に就職したが一か月も働かずに辞めた。

 

母として久しぶりに娘との生活を仕事に送り出しながらしばらく楽しめると思ったのもつかの間。

次はマッチングアプリで知り合った男に夢中になった。

仕事を辞めたのも男の存在は否定できない。

ことごとく私の脳による家族の絆のドーパミン放出を妨げる出来事が続く

 

もちろんこれはもう子離れをする当然の時期だからだ。

子供との絆はそれぞれが自立し新しい生活を獲得し本当に大人として社会生活をするようになって改めて新たな関係の中で、新たな絆を確立する時が来たのだろう

 

想像していたよりも早すぎたために、そして三人が一斉に離れていこうとしているために、私は悶々としているのだ。

もう少しゆっくりもう少しせめて一人づつ離れていってほしかったが、こちらが望むようにはいかないものなのだと改めて肝に銘じよう

 

悶々とせず、自分の生活に戻ろう。

子供に依存するのは終わりにしよう。

自分もそうしてきたのだ。

それでいいんだ。

 

WISHリスト

今日思いつくウィシュリスト書き出してみました。

そしたら俄然幸せな気持ちになりました。

 

一人で暮らす

持ち物を整理し減らす

好きなものを作って食べる

snsのoutputを楽しむ

読書家になる

本を出版する

麻雀をする

バドミントンの漫画家になる

できる限り長くバドミントンを楽しめるように練習する

毎日睡眠をしっかりとる

毎日1チャレンジをする

ありのままの自分を認める

ありのままの自分を楽しむ

いやなことはできるだけやらない

スマホは見ないように心がける

旅行をする

人とおしゃべりをする

ゴルフを習う

山に登る

 

また気が向いたとき書いてみたいと思います。

ますます幸せな気持ちになれると信じて

#WISHリスト

 

 

息子のこと

息子は2人いる。今特に気がかりなのが次男である。今年大学を卒業した。

母としては3人目の子どもであったこともあり、上の2人に比べ甘やかしてきたとは思う。本人が甘やかされたかと思っているかどうかは別として。

大学4年生になっても彼は就活をしなかった。進路を迷っていたとは思うが、公務員試験を受けると言い出していた。

確かに試験勉強は得意なほうだろうと思いそれもよしと思った。

ところが専門学校の授業料を27万円出したのだが、合格目指して勉強している気配はない。私の手前学校に通てはいたが行っているだけだった。

見ていればわかる。本気で勉強していないことは

 

56才になった私は昨年賃貸不動産管理士試験を目指し独学で勉強した。

久しぶりの受験勉強だったが、ベストを尽くした。

やれることはやった感はあったが、不合格となった。

過去問題集は7回繰り返しどれ出されても答えられる自信があるほどだったが、応用が利かない頭だったこと、不動産の知識が問題集以外何もなかったこと、試験当日の脳の反応が遅すぎたこと等不合格の理由は大体認識している。

要するに年を取って脳の反応が悪すぎるのだ。

一回のチャレンジで合格できるとは思わないほうがいいのだ。

まあそれが私の試験を受けた感想だ。

言いたいことは私でさえ試験を受かるために勉強するとはどういうことか認識している。

私のことはいいとして

次男は

公務員試験などさらにライバルがいる試験にただ学校に通えば受かるものではない。

また私は次男を甘やかしたのだ。27万もの授業料を払ってしまった。

やる気があるなら自分で稼いだお金で受ける気持ちがないと無理なのだ。

私は勝手に公務員になるのなら就活する必要ないと自分を納得させていただけなのだ。

 

兄や姉からすればおそらくやっぱり次男を甘やかしているといいたくなるだろう。

 

コロナ禍就活も例年とは違いなかなか慣れないものだったと思う。しかし他の友人がやっていることをなぜ次男はやらなかったのか。

単位の問題で卒業できるかぎりぎりの状況ではあった。

だからと言ってなぜだったのだろう。

一緒に就活を相談する友人はいなかったのか。

友達は多い方だと思っていたが、大学入ってから大人になり切れない、成長できない、子供っぽさだけを継続させていた感じがする。

 

自分のことを考えてももちろんこのぐらいの年頃の時一番子供ぽっかたといえる。

子供っぽいと見えるのは皆変わらないとは思う。

しかしなぜ今卒業してしまってからも就職ができないのか。

新卒という枠から外れ仕事を探しにくいことは想像できる。

まず就職したところは明らかにブラック企業といえる外壁塗装の営業である。

次に内定をもらったところはサイゼリアという外食企業。

しかし決まったにもかかわらやはりアルバイトで暫くやっていこうかと思うと言い出す始末。

 

ここから私の神経が動揺し始めた。

なぜ、就職しない。

健康であり、若さがあり、勉強もでき、何より集中力がある。

運動神経も人並み以上だ。

自慢の息子だった。

 

だからこそ私は動揺し、眠れない。睡眠に障害が出ているのは明らかにストレスである。

次男の不幸な人生を想像してゾッとしている。

次男のことに関して悪い方に悪い方に思考が向かっている。

自分を責めてしまっているのだ。

自分が悪い。

そもそもあんな元夫と安易に結婚した私のせいだと。

結婚しなければ次男はこの世に存在しなかったのに。

そして人生に絶望している将来の次男を想像してしまう。

 

これでは睡眠に障害が現れるだろう。

 

ゆっくり考え直そう。私が次男にできることはない。

まずやることは彼とは距離を置くことだ。

本人に自分の人生を自分の力で歩んでもらうことだ。

自分で経験し自分で学び成長していくしかない。

私が成長させられることはもうないのだ。

簡単に言えば家から出てもらうことが今一番私が彼にやるべきことだろう。

自分で切り開いていける能力は十分持っている。

あとは任せよう。

先のことを私が一人で思い悩んでも無駄なことだ。

一人で切り開け。

充分甘やかした。

その分生きるエネルギーは十分蓄えているでしょう。

毎日一チャレンジ

毎日プチチャレンジを必ず最低一回続けようと思います。

新しいことを始めると失敗もありますが学ぶこともたくさんあります。

そして失敗をしてもそこから学ぶことが多いはずです。

 

離婚する前の私はできる限り現状維持することに神経を使っていました

自分の生活が変化することを怖がっていました。

自分の生活が変化することを人がどう思うかを想像して怖がっていました。

私の軸は人の目だったのです。

 

私は離婚して変わりました。ストレスがなくなったことで自分と素直に向き合えるようになりました。

多少なりとも自分を俯瞰して見ることができるようになりました。

離婚したのが2020年。その前年父が亡くなり、相続のことでも慌ただしい日々を送っていました。

 

それから三年経った今時間的にも余裕ができて自分を見つめ直すような日々がこの一年続いています。

これからの人生の方が長いのである。

私がどうこれから生きるべきか悩むのは当然のことなのだ。

数年前から私の生活には大木な変化があった。

そのために私が本当に自分と向き合い今度こそ自分らしく生きるということを真剣に考えなければならないときなのだと思っています。

 

そして今こそ新しいことにチャレンジする日々を送ってみよう。

いろんなことにチャレンジできる自分、自分が生きていて楽しいと思える自分。

日々のチャレンジの中で私はきっとこれを学ぶでしょう。

過去を悔やむことを終わりにできるでしょう。

未来にワクワクする自分に出会えるでしょう。

低い低い自己肯定感が必ず爆上がりでしょう。

 

毎日一チャレンジがきっと私に幸せな時間を与えてくれると今確信しています。

非言語情報コミュニケーション

自分にはいいところも悪いところもある。自分にさほど自信がないくせにプライドが高いところは悪いところになるだろう。

いいところは、非言語情報コミュニケーションが得意なところか

 

意識したことはなかったが、いわゆる人の気持ちを察することは得意である。

自己肯定感が低いせいだろう、いいところを自分の良さと認識してこなかった。

むしろ人の気持ちを察しすぎてしまうことでストレスを感じてしまい、マイナスのイメージを持っていた。

しかしそのいいところのおかげで楽しく過ごせる友人がいるのだ。

自分をもっともっと俯瞰してみる能力を高めていくべきなのだろう。

 

バドミントンを4時間練習した後約2時間ほどファミレスでおしゃべりする友人がいる。

今日のバドミントンのこと、クラブ内の人間関係、普段の生活のこと気楽に何でも話している。

心理的に安全性が保たれているからだろう。

2時間の楽しいひと時である。

そんな仲間がいるのはおそらく私の良いところ、非言語情報コミュニケーションが得意だからだ。

そして友人たちも皆それを得意としている人達なのだ。

 

他に心理的安全性が保たれている友人関係を考えてみた。

高校の友人一人、大学の友人一人、大学院の友人一人

麻雀の仲間数人

 

友人関係がスタートしたばかりだが、気持ちの良い仲間と感じるハーモニカの仲間たち。

 

この後の人生の楽しみとして、そして充実した人生を歩んでいくために、もっともっと心理的安全性が保たれている友人関係を増やしていく。

 

 

自己肯定感

子供のころから自己肯定感が低かった。自分を好きになれなかったのは自己肯定感が原因だったことは最近になって理解した。

三人兄弟の真ん中だった。兄がいて妹がいて。2歳違いの私は真ん中。

兄とけんかし、妹と張り合い。兄も妹も私に張り合う気持ちなどなかっただろう。

真ん中の私が一人で、兄と妹に張り合っていた。

なぜか。

母は手のかかる兄や、まだ小さい妹に手がかかっていたのだろう。

私は手のかからないことして存在せざる負えなかった。

私は十分手のかからない子としての役割を果たしていた。

母は助かっただろう。

わがままは言ってはいけないと思っていた。

 

いつの間にか私は兄と妹よりもよいこでいることが使命になっていた。

それは勝手に自分でそう思っていたのだ。

母に好かれるために。

大抵の子どもの望みは母に好かれることなのだ。

 

そしていつの間にか一人で勝手に兄と妹に張り合っていた。

これも一方的だった。

優しい兄を兄とも思わずけんかをふっかけていた。優しく穏やかな妹は私の攻撃を静かに耐えていた。

そして年齢を重ね、学校生活が始まり、家族以外の人間関係が生活の中心になってくるといつも自分に自信がなくいつもイライラしていた。

大きな顔をしていられたのは家の中だけだった。

外での生活は自己肯定感が低いために、自分らしく振舞うことができずストレスをためていたのだ。

友人との会話も途中で話すことがなくなってしまうのだ。

話題は考えてから話す。それが終わると話すことがなくなる。

シーンとしてしまい、私のことを嫌いだろうなと考えてしまう。

シーンとなるのが嫌なので、なるべく人と二人で話す状況を避けていた。

 

自分らしくありのままの自分をさらけ出せなかったのだ。

人に嫌われないように振舞うことが当たり前になっていた。

私が大抵好きになる友人は自己肯定感が高く、自分の意見ははっきりというタイプの子であった。

あこがれていたのだ。

そういう人間になりたいとずっとあこがれていた。

 

もちろんそのころ私はなぜ自分は自分の言いたいことを話すことができないのか?

自己肯定感の低さから来ているとは思ってもいなかった。

自分の生まれながらの性格によるものだと思っていた。

そんな性格の自分が嫌いだった。

自分はうそつきだと認識していた。

その場が丸く収まること、自分が良い人に見えること、そのためにばれない小さな嘘ばかり言っていた。

嘘つきな自分が大嫌いだった。

それなのにうそを辞められなかった。

そんな自分を嫌っていた。

 

やりたくないことでも「いいよ」

友人を長く待っていたのに「来たばかり」

遊びたくないのに「遊ぼう」

そんな嘘ばかり言っていた。

とにかく社交的でもなければ、気持ちが優しくもないのに

社交的で思いやりのある人物を演じるために自分の気持ちに噓をついていた。

 

私は自分に正直な人に見える友人に憧れていた。

 

なぜ私は自己肯定感が低かったのか。

昭和という時代の常識せい。

遺伝子的 父はガッツで頑張る人だった。子供たちにも当然ガッツで頑張ることを要求していた。父の性格に一番近かったのが私だった。

母は優しい人だった。私のありのままを認めてくれていたが、真ん中に生まれていたことで私には母とのかかわりが少なかった。

こんな理由で私は自己肯定感が低かった。

そしてそれは私の57年の人生のほとんどに影響を与えた。

 

付き合う相手も自分に自信がないので、そこそこの人で良いとした。

大好きになった人とは関われなかった。

嫌われるのが怖かったのだ。

本当の自分はつまらない人間だからそれを知られて嫌われたくなかった。

だから私にがっかりしない程度の人と付き合った。

そして一方的に私を好きだった人物と結婚した。

すぐに私の気持ちには関心を持たない人物だと分かったからだ。

安心していられたのだ。

私がどういう人間かということを考える思考回路がそもそもない人物だったからだ。

 

結婚相手さえ自己肯定感が低さが影響を与えたのだ。

私の人生のほとんどに影響を与えてきたのだ。

 

50年の年月を自己肯定感の低さが足を引っ張るものとなった。

それは残念なことだが本当のことである。

自分を成長させることにエネルギーを使いながら、その時その時のありのままの自分を愛して暮らしてこれたなら、私の今はもっと違うものになっていたに違いない。

 

ただしもう過ぎ去った日々を悔やんでも元には戻れない。私は今この時にならないと気がつけない人生だったのだ。

だからこそこれからは自己肯定感を高めてありのままを好きになり、まだまだダメなところも今の自分なのだと認めてあげる人生をこれから送ろう

 

毎朝目覚めたときに今日一日を過ごせることをワクワクするような毎日を送ろう

残りの人生を自分で幸せに過ごそう

自分にとっての幸せ

離婚して3年が過ぎた。その間父が亡くなり母がなくなり、実家に家族で越してきた。

長女と次男が大学を卒業し就職。5月には二人とも退職。ひとり親家庭の子どもとは思えない。ニートが二人もいる。

 

私自身離婚して心穏やかに暮らせる日々を幸せに感じているが、その幸せももう当たり前になっている。そのうえでこれからの残された日々を私は幸せを感じて生きたいと思っている。

その基本となるのはお金に困らないこと、健康であること、だろう。

今のところこの二つに関して今のところ安定している。

もちろんこの先どうなるかはわからないが、本当に最悪な状況になったら不動産を売ってしまう選択肢があることが幸せといえる。

もちろんこれからもお金はドルコストで健康は食事と睡眠、運動で磨きをかけていくつもりである。

 

やっとお金と健康に気持ちを向けることができるようになった。

両親のこと相続のこと子供たちのこと家のこと不動産のこと。離婚後ずっとあわただしく暮らしていたのだ。

次男の就職が決まればさらに自分のことに集中しながら生きられる状況となるだろう。

なんて幸せなのだろう。

 

この後私は目標を掲げ、その目標に向かって少しづつ前に向かって進んでいきたい。

後ろに下がるときもあるだろう、心痛めるときもあるだろう。それでもまた再び前にむかっって歩き始めることができると思う。

私は30年前の妹の死からそうして生きてきたのだから。

そうして生きるこの先の自分を考えるとわくわくする。

なんて幸せなのだろう。