自分と向き合うために文章を書きたい
子ども三人が成人し、社会人となるはずの今年、娘はほぼ一か月で息子は三日で仕事を辞めた。やっとこれから自分のことだけ考えてゆっくり生きていこうなど暢気に考えていた。
まさか長男をのぞく下の二人が大学を卒業したにもかかわらず、ニートとなるとは思いもよらなかった。
ショックであった。
娘は獣医大学を6年間青森で過ごし、獣医師の免許を取得し東京に戻って動物病院に就職した。春から久しぶりに娘との同居、自宅から仕事に通う娘の様子を暫く楽しむ生活が始まった矢先だった。
マッチングアプリで知り合った人が現れ、帰らない日、そして仕事を休職ほんの一か月の出来事だった。
そして4年制大学を卒業した弟は、就職した会社を三日で退職した。
もう5月にはニートが家族に2人となった。
自立できない子供。
ひとり親の私には悲しい出来事だ。
何より自立を楽しみにしていた。
子供たちにはわかるまい
そして一番まともで、まっとうな人生を歩んでいるように見える長男は、家族を無視している。同じ家の中に暮らしながら、一切家族と会話しない。特に母親の私の声掛けに完全無視である。
これは母親の私に相当問題がある家庭だ。
誰が見てもそうとしか思えない。
まともじゃないだろう。
お母さんがおかしいんだろうね と言われている。
妄想だが、そういわれて当然だ。
私が他人だったら絶対あの家のお母さんがおかしいんだろうと思い込んでいたに違いない。
それはある意味正しい。
私がおかしいのだ。
どう生きればよかったのか
3人の子どもに責められているのだ
じゃあどう生きれば、お母さんがおかしいと妄想しない人生になっていたのか。
母の人生を書き始めたのは、今の自分を迷っているからだ。
私の何がいけなかったのか、ちゃんと考えてみたかったのだ。
人の一生はどういうものなのか
母の一生をちゃんと考えて、間違いだらけの私の人生をこれからはどう生きればいいかをもう一度自分の頭できちんと考えたいのだ
自分にむきあうことを避け続けていたこれまでを卒業してやり直すのだ
子供に責められていること
目の前の不都合に思える現実
これまでの私の過ち
すべてに向き合い、やり直したい
自分のためにやり直したい。
自分のために幸せに生きたいのだ。
もう子供からもちゃんと卒業したいのだ。
生きなおす。
それが私のこうして毎日書いている理由。
生きなおすためにこうして毎日書く。
幼稚な文章も毎日書いていればきっと上達していく。
自分の内面を見つめて書いているうちにきっと自分にきちんと向き合える自分になっている。
いつか誰かのためになるような文章が書けるようになれるだろうか
幸せな人生だったと思える人生を送れるように生きたい
それはすべて書くこととつながっている。
きっとそう。
今はまだそれをきちんと言葉にはできないが、いつかきっと言葉にできるはず。
だから毎日文章を書く