母の一生は幸せだったか?⑤
人の一生を幸せだったか幸せでなかったかだけで判断することはできないことは分かっています。幸せだった時もあり。不幸だった時もある。私にとって、母はかけがえのない人間であり、母の人生こそ私が学び、私のこの後の人生を考えて生きていくうえで自分のために知らなければならないことだと思い母の人生を書いていこうと思いました。『母の人生は幸せだったか?』シリーズ五回目となりました。
母の人生で一番不幸な出来事だった。誰もが経験するようなものではない不幸だった。最愛の娘の死だった。それも24才という一番年頃の幸せであるはずの娘の死である。
すなわちそれは私の妹の死。
母は短大時代の友人と旅行に出かけるはずの前の晩だった。
私はその晩妹と話をした。原宿に買い物に行った話だった。
この晩のことをだれにも口にできずに30年過ぎた。今でも口にはできないほど苦しくなっている。もうこの話はやめたいほどだ。
優しい言い方をしなかったこと。
優しい姉でなかったこと。
私のせいで妹が死んだ。
私はそんな姉。
自分は妹に依存していたにもかかわらず、妹に対して優しい言葉かけなどできなきなかった。
いつも機嫌の悪い姉。
心が不安定な妹にとどめを刺した。
私のせい。
誰も許すべきではない。不幸になれ。お前は妹を殺した。
もう誰も責めはしない。
みんな死んでしまったから。
妹は責めることなどしない。私が自分を責めずに生きてほしいと願ってくれることは知っている。
長い間私は私を責めた。
なのに誰も私を責めず、なのに私は誰にも優しい人間ではなかった。
残った娘が母を幸せにするべきだった。
そうなのだ。母は幸せだった。私さえ優しい人間だったなら。
私が母をどんな不幸を抱えたとしても幸せにできたはずなのに。
どうか
許してほしい。私はそれでもこれから生き続ける。
いや違う。自分が自分を許すしかない。
そしてもう一度生きなおすしかないんだ。
自分で自分を幸せにしていくしかない。
母を幸せにしてあげることができなかった。
私にも娘がいる
でもきっと娘に幸せにしてもらおうとは思って生きることはない。
そう自分で自分を幸せに生きるしかない。
許してほしい。父よ母よ兄よ妹よ
私はみんなをもっと幸せにできたに違いないのに。
今は思う、きっと皆それぞれ人をせめては生きたりしない。
幸せになろうと生きていたはず。
私はもっと人の幸せのために手伝えたのに、できなかった。
それを許してもらうしかない。
私が自分の人生を自分で幸せにすることしか今これから母のためにできることはない。
今度こそ間違えずにやるしかない。
きっとできる。
母を幸せにする。
最後のチャンス。
次こそ
母の人生は幸せだったというために。